『「這いよれ!ニャル子さん」を面白くないと感じた側の人間の主張』から見る差別の娯楽化

 「ハーレムアニメ」というのは基本嫌がられるものである。同時に安く作れ、アンチの叩きの温床になりやすいという扱いの難しい代物である。

The-U.JINE氏の『「這いよれ!ニャル子さん」を面白くないと感じた側の人間の主張』を視聴した時、なにか既視感があったのを覚えている。

 それは「映画の父」と呼ばれるグリフィスによる『國民の創生』である。この映画は映画史に残る名作と呼ばれながら、黒人差別団体KKKを英雄的に描き、差別を正当化しかねない点から「アメリカ映画最大の恥」と呼ばれたという。

 さて前述の動画であるが、ニャル子さんの面白くない面を上げ論破しながら、同時にニャル子信者のじゃくてんをあげつらっている。

 

B「オラァッ!」
A「へぶっ!」
B「……なんだかわからんが、とにかく一発殴っておかなきゃならんと思った」
A「……『殴ったね、親父にもぶたれたこと無いのに!』ってニャル子さんなら言いそうだネ」(嫌味たっぷりに)
B「お前このやろう!」
A「ンー?殴るだけでは飽きたらんか?真尋くんのようにフォークでも持ちだすかね?刺すのは俺の手の甲か?それとも頭かね」
B「くぐぐぐぐ!」

 

 この暴力により、作者の主張は正当化され、「実際の所今回の動画は「素直」どころか「悪意」増し増しでやってやりました。」という作者の言うところの逆恨みは見る者のカタルシスになっていくのである。

このロジックは「韓国人や中国人は問題行動をとっているのだから、差別されて当然」との文法に似ている。

 

私は自由な言論を愛する。同時に、「面白いなら差別でも許される」を自主的にどう対策を取るかが問題になっていくだろう。